2013年10月13日日曜日

エルトゥールル号展 トルコと日本 ー友好の航路 10/30-11/19 トルコ大使館にて

トルコと日本が友好な関係を構築してきた理由に最初に挙げられるのが、エルトゥールル号にまつわる遭難事故と救助である。1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で台風に巻き込まれ、500名以上の犠牲者を出す大惨事となった。荒れた海の中、かろうじて岩場に辿り着いた乗組員は急斜面を登り、地域住民に助けを求めた。親身の介抱の結果、500名以上の犠牲者を出したが、69名の尊い命が救われる結果となった。

この大惨事と69名の乗組員を助けた話しは美談としてトルコの小学校の教科書の中に一部記載があると聞く。

この事件はエルトゥールル号が日本へ寄港し、トルコへの帰路につく過程で起こった事故であった。特別展示の案内冊子からその経緯を抜粋してここに紹介しておきたい。

1887年、明治天皇の甥にあたる小松宮彰仁親王殿下、同妃閣下がイスタンブールを訪問。このとき、時のオスマン皇帝・アブドユルハミド二世は明治天皇より勲章を賜り、返礼として日本に使節団を派遣することを決定。

この使節として特使のオスマン大佐以下、士官学校を卒業したばかりの若い少尉たちを含む609名がエルトゥールル号に乗り込み、1889年7月、イスタンブールを出航。

エルトゥールル号は寄港した各国の歓迎を受けつつ航海を続け、出航から11ヶ月後の1890年6月7日、横浜港へと到着。オスマン総督はその後、明治天皇と謁見し、9月15日帰途に。

609馬力の機関を持ち、排水量2400トンの大型木造艦であったが、建造から25年を迎えていた。

1890年9月16日、エルトゥールル号は和歌山県串本近海で台風に巻き込まれ、岩礁に激突。浸水して機関が爆発、そして沈没してしまった。

軍艦エルトゥールル号の悲劇は広く伝えられ、犠牲者とその家族たちに義捐金が集められた。また、一名を取り留めた乗員は日本の軍艦でイスタンブールまで送り届けられた。

この事故における犠牲者たちを悼み、串本では慰霊塔が建設され、現在でも毎年慰霊祭が行われている。



今回、駐日トルコ共和国大使館・大使公邸にて「エルトゥールル号特別展示」が2013年10月30日〜11月19日、10:00-17:00、入場無料にて開催される。




特別展示では、海底からみつかった香水瓶、菊の紋章の入った磁器、オスマン帝国など当時の各国の硬貨など多くの品々が展示される。







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