2015年1月29日木曜日

馬肉ショック


少し前のニュースになりますが…119日付Milliyet紙に『馬肉ショック!』との見出しがあり、興味を引かれたので覗いてみました。以下、記事を訳してみました。

 

『盗んだ馬の肉を市民に食わせた』

ブルサにて、ジプシーの市民による「自分の馬が盗まれた」との通報で、信じがたい出来事が判明した。5頭の馬が盗まれた上に解体され、高級地区の食肉店2店舗、ピデ(※ひき肉などを乗せたトルコ風ピザ)屋1軒とドゥリュム(※スパイシーに炒めたこま切れ肉のラップサンド)2軒に売却されていたことが分かった。

メルケズ・ユルドゥルム郡でジプシーが暮らすハジュヴァット・ワクフ地区で3日前、飼い主が家の近くの土地に放牧していた5頭の馬が、何者かによって盗まれた。通報を受けてユルドゥルム郡警察署は窃盗犯を割り出すため捜査を開始。今日、巡回中の警察官が、馬が盗まれた地区の近くの小屋の前で血痕を発見、調べにより盗まれた馬が解体され皮が剥がされたことが確認された。

上流階級が通う店にも売られた模様!

解体された馬の一部はぶつ切り肉とミンチに加工されたことが分かった。肉を包装中に逮捕されたアリ・V(40歳)は、供述において、肉の一部を、かねてより契約のあったと見られる、ブルサの上流階級に人気のカフェやレストランもあるニリュフェル市ファーティフ・スルタン・メフメット通りにあるドゥリュム屋やピデ屋、ベシュエヴレル地区の2か所の食肉店に馬肉1kg当たり5リラから売ったことを告白した。馬が解体された小屋で捜査を行う市農業課は現場に残されたくず肉を保管し、研究室での調査に送った。事件に関する取り調べは続いている。


 



言われてみれば、トルコで馬肉を食す習慣は聞いたことがありません。
日本では「さくら肉」としてそれなりに市民権のある馬肉食ですが、世界的にはどうなのかと思い調べてみたところ、日本、フランス語圏の他に、オーストリア、イタリア、スイス、ベルギー、ルーマニア、アイスランド、カザフスタン、マルタ、モンゴル、オランダ、ノルウェー、スロベニア、スウェーデン、カナダのケベック州などがある、との記述を見つけました(Wikipediaより)。

トルコ人にとって「馬肉食」はどのように捉えられるのか興味をそそられたのでもう少し調べてみたところ、「馬肉を食べることは倫理的にどうなのか外国人が議論するスレ」海外の反応というネット情報を見つけました。
 
ここの中で、あるトルコ人の個人的な見解として
 
馬は何千年間も俺たちのことを助けてくれた。馬は俺たちの友達。友達を食べたりなんかしないだろ。」
 
というものがありました。
なるほど、さすが騎馬民族の末裔・トルコ人。


せっかくなので、先日トルコから見えたお客様にも同じ質問を投げかけてみました。
彼によると、

「トルコに馬肉食文化はないし、望んで食すことはありえない。」

とした上で、

「ただし、馬だのロバだの知らされずに口にしていることは、トルコではよくあることだ」

とのことでした。

なるほど、さすが…トルコ人。

 

2015年1月15日木曜日

仏シャルリー・エブド襲撃事件の波紋

世界中に衝撃をもたらした17日のシャルリー・エブド襲撃事件。トルコでも大きな波紋を呼び、各紙の紙面は連日関連のニュースでもちきりです。

トルコ国内でも、暴力的報復への嫌悪、表現の自由擁護、逆に表現の行き過ぎへの嫌悪、イスラモフォビア(イスラム恐怖症)の助長への懸念、果ては襲撃の肯定など、反応は様々です。

 
国民の大半がイスラム教徒であるトルコでは、シャルリー・エブドによるコーランや預言者ムハンマドを揶揄した風刺画そのものは不快で挑発的であるとの受け止め方が大半のようです。ただ、それに対してどう反応すべきか、というところで意見は対立しています。




大手新聞社であるCumhuriyet紙が114日付の新聞でシャルリー・エブドの最新号からいくつかの風刺画を抜粋して4ページ分掲載する、という情報を受け、警察が裁判所の決定なしに出動し印刷所に立ち入り捜査を決行(1月14日付Milliyet紙)。選定されたコンテンツの中に、件のムハンマドを風刺した表紙絵が含まれていないことを確認した後、 配達トラックの出発を許可したとのこと。また、Cumhuriyet紙の風刺画掲載に対して寄せられるであろう反発を考慮し、周囲に警戒態勢が敷かれました。
実際に、Cumhuriyet紙の風刺画掲載決定に対し、「シャルリー・エブドの挑発を継続している」などのパンカードが新聞社の壁に掲げられるといった抗議行動もありました。
また、SNSで拡散されたCumhuriyet紙襲撃の呼びかけに応じた一部の人々が建物前に集まり「(実行犯の)クアシ兄弟は我らの誇り」とのスローガンを叫ぶといった騒動も(1月14日T24)。

Cumhuriyet紙のウトゥク・チャクルオゼル編集長は次のようにコメントしています。

「我々は表現の自由を侵害する今回の攻撃を激しく憎む。シャルリー・エブドへの連帯を示すため、同誌の特集号から4ページ分ピックアップして弊社の紙面に載せた。選定にあたっては社会の信仰の自由と宗教感情に対して十分配慮したつもりだ。事前に多く寄せられた忠告を受け、雑誌表紙に掲載された風刺画は載せない形で発行した。」(114日付Cumhuriyet

実際の抗議行動は限定的ではありますが、宗教感情を逆なでされたことで、イスラム教徒としての同朋意識が強まっている部分は否めません。
 
パリで行われたテロに対する抗議集会は370万人が参加するフランス史上最大規模の集会となり、参加した各国首脳と並んでトルコからもダウトオール首相が参列。そのことに対し、トルコ国内では「(イスラム排斥を牽引する)イスラエルのネタニヤフ首相と同席した」と非難する声も上がっています。

そういった声に対し、首相からは次のようにコメント。(113日付けMilliyet
「我々はヒューマニティーの掲げられたところに行くだけだ。我々があの場にいることが道理に適った真摯な対応であるのに対し、イスラエル首相があの場にいることがいかに不相応で不誠実であるか、それを世界に知らしめたし、今後も主張し続けていく。」

「我々は、国家的テロを実行する人々や国家に対して声を挙げ続けて行く。イスラエルの暴政も、スカッド・ミサイルで人民を殺戮するアサド政権も、同様に国家的テロと呼び続ける。今回の集会に参加した中で、このように両サイドの見解を持つ国は唯一トルコだけだ。」

 
「フランスで起きたテロに対し各国首脳が行進したように、ガザの子どもたちのために世界中のリーダーが肩を並べて行進するなら、その時に世界の平和が実現するだろう。自由なパレスチナの首都エルサレムで、世界中のリーダーが行進したら、その時に平和が訪れる。」


 
以上のイスラム寄りの反応に対し、世俗主義を標ぼうする最大野党CHP党首のクルチダルオール氏も、党会議において次のように発言しています。(113日付Milliyet

「まず、オランド首相とメルケル首相が、テロ行為とイスラム教を同一視しない、との見解を示されたことに感謝する。テロ対策はもはや一国の国内の問題ではない。テロはどこで誰に対して為されてもおかしくない。世界中がテロに対して力と情報を連携しなければならない。」

「イスラム世界に告ぐ。どうか政教分離を取り入れてほしい。政教分離は信仰を守る。政教分離を無神論と決めつける人々がいたが、そうではない。政教分離とは、人々の信仰に政治が介入しない、という意味だ。政教分離はテロに対する解毒剤だ。武器を持って人々を殺すことはイスラムではない。」

いずれも、イスラム教そのものと過激派の行為は別のものと切り離し、世界的に広がろうとしているイスラムヘイト、イスラモフォビアへの懸念と同時に、そういった動きへの反発として過激派に同調する国内ムスリムの動きも牽制しています。

トルコが建国以来抱えてきた政治と宗教の微妙な均衡が崩れることへの牽制とも言えるでしょう。
 

また、クルチダルオール氏の発言の中には、現AKP政権の対シリア政策への批判も含まれています。

「テロはパリだけで起こっているのではない。ナイジェリアで2000人が殺された。レバノンで、イェメンで、またつい先日、イスタンブールのスルタンアフメットでも自爆テロにより警官が殉職した。間違った対シリア政策により、過激派グループをトルコのすぐ隣に呼んでしまったのだ。その政策ではトルコにしわ寄せが来ると何度も忠告した。結果的に、世界中から過激派要因を持ち込み、過激派への参加者はトルコ経由でシリアやイラクへ入国している。」

 
実際に、ここ最近トルコ国内でのテロ予告、未遂、実際に起きた自爆テロは急増しているという事実もあり、緊張は続いています。

トルコのムスリムもそのほとんどは良識ある敬虔なムスリムであり、過激派によるテロの脅威にさらされていることに変わりありません。
 

ダウトオール首相が外国人記者に対し次のようにコメントしています。

『宗教や文化の異なる人々が共存し、誰も排除されない環境が守られるべきだ』

トルコ宗務庁長官によると、
「欧州では、モスクへの攻撃、モスクに書かれた人種差別的落書き、モスクに豚の頭が掲げられるといった嫌がらせなど後を絶たず、欧州に暮らす3人に1人のムスリムがイスラムヘイトの脅威にさらされている、という調査がある」とのこと。

欧州でのイスラムヘイトの動きが今回の事件を誘発したとの見方もあります。
カリカチュール文化もイスラム文化も、互いを尊重する形で自己主張できると良いのですが。
 

2015年1月13日火曜日

ホテルオークラ、トルコへ進出

東京オリンピック開催が決定され、2020年に向けて「東京ホテル戦争」が加熱している。一昨年以降、東京マリオットホテル、ハイアットホテルズの「アンダーズ」に続き、シンガポールを拠点とする高級ホテルのアマンリゾーツは大手町に昨年12月限定オープンしている。
2016年には大手町に三菱地所の再開発ビルのオープンが予定されており、外資系ホテルの誘致が確実視されている。昨年の海外からの訪日客が1300万人を突破し、2020年2000万人超えも視野に入ってきて大いに弾みがついている。
外資系ホテルの誘致合戦を主導しているのは大手不動産会社。超高級ホテルが入ればビルの格が上がり、高い賃料収入が期待できるからである。地価が高く採算割れすると尻込みをしていた外資系も、ビル全体でなく中高層階だけの運営なら収益は十分見込めるとの判断から外資系高級ホテルのラッシュ状態になっている。
そんな中、ホテルオークラはトルコに進出を決めた。2020年までにイスタンブールやアンカラなど主要都市で5ホテルの開業を目指す。日本のホテル大手がトルコに出るのは今回がはじめて。欧州やアフリカ、中東等からの旅行者が多いトルコで「オークラ」の名前を知ってもらい、2020年の東京オリンピックに向けて拡大する外国人需要の国内での取り込みが狙い。
ホテルオークラ

オークラはJALホテルズの「ホテルニッキー、ブランドの使用も検討する。ホテルの開発・運営を行う合弁会社の資本金は約5千万円で、オークラが44%、トルコのホテル運営会社等が56%を出資する。リッチ選定、ホテルの設計、運営、従業員研修等は一切オークラ主導で進める。
オークラがトルコに進出を決めたのは正解である。
以前、「トルコヘルスツーリズムの今」と題してここのブログサイトでも触れたことがあったが、国別の外国人観光客数の順番をみても、第一位はフランスで8000万人を超えている。
第2位以下、米国、中国、スペイン、イタリア、そしてトルコが英国を抜いて国別で6位。2012年は3,560万人が訪れ、エーゲ海と地中海沿いのリゾート地は北欧やロシアからの観光客で大変な賑わいで、アンタルヤはその最たる所である。
MICE (meeting, incentive, congress/convention, exhibition/event)の有力なデスティネーションとして、トルコは温泉の施設整備にも力を入れており、このタイミングでのオークラのトルコ進出は戦略的と評価できる。

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2015年1月7日水曜日

2015大雪の新年


年末から続く強い寒波の影響で、今トルコ全土が雪に覆われています。



 

【中近東】の枠に括られることの多いトルコで「雪」と聞いて、驚かれることがしばしばあります。
夏の間は確かに強い日差しに照らされているイメージの強いトルコですが、しかし冬ともなると、温暖な地中海側を除いて、実はかなりの降雪量です。

それもそのはず、そもそもイスタンブールの緯度は青森県とほぼ同じ。また国土全体で平均的に標高が高く、内陸部や東部の山間部などは雪に閉ざされてしまうエリアも多いのです。
ちなみに、201312月も大寒波に見舞われ、トルコ南東部の村で道端のロバが凍りついた状態で発見され、村人に救助されたなんてニュースもありました(20131212Radikal紙 http://www.radikal.com.tr/turkiye/siverekte_esekler_buz_tuttu-1165888)。

 

今回、年明け早々の大雪で、イスタンブールなど大都市含め全国で停電が起こっており、暗闇の中で新年を迎えた人も多かったようです。

5日には新たにシベリア、バルカン双方から流れてきた寒気団によりさらに積雪が重なり、通常雪が降ることがあまりないようなエーゲ海地域の一部までもが雪景色に。イズミールでは珍しい雪景色を市民が喜び、車から降りて雪合戦するなどの光景が見られた、とのほほえましいニュースも(2015年1月6日付Bugun http://www.bugun.com.tr/izmirliler-gune-kar-yagisiyla-uyandi-haberi/1424312)。
 
 
しかしそんなのどかな光景はほんの一部。トルコ全土を見渡してみれば、多くの幹線道路が雪により閉鎖、空の便・海の便などの交通機関も一部運休、地域によってはライフラインがストップしたままの状態のところも。もちろん、ほとんどの学校が休校。トルコ北西部ブルサ近郊の街イネギョルでは、年末から5日間停電したままという状態に耐えられなくなった住人達のグループが、送電会社の建物前で抗議デモを行う(2015年1月4Cumhuriyet紙 http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/turkiye/177849/Elektrik_kesintisi_yurttasi_canindan_bezdirdi.html)といった騒ぎもありました。

 
私がイスタンブールに滞在していたのはもう10年以上前になりますが、当時も大雪で停電というのは日常茶飯事でした。
住んでいたのがベースメントの部屋だったため、夕方の停電で突如として室内は真っ暗闇に。携帯の明かりを頼りに辿り着いたガス暖房機の前で、青くゆらめく小さな炎を見つめるばかりで何もすることができず業を煮やした私は、せめて新聞でも読みたいと思い立ち、意を決してアパートの外へ踏み出しました。近所のホテルのカフェなら非常灯があるだろうと思い、横殴りに吹雪く雪の中一心に歩を進めると、各家の窓越しにロウソクの灯りがぼんやりと映し出されておりまして、それはそれでとても幻想的な眺めだったのを覚えています。

もちろん、イスタンブールという大都市の中心部だからまだそんな呑気なことが思えたわけで…地域によっては生死にも関わる非常事態。

あれから約10年が経ち、トルコは経済発展目覚ましい新興国として生まれ変わりつつあるようですが、インフラにはまだ課題が残されている模様です。

 

ライフラインが断たれた状態のエリア、孤立した集落など、一刻も早く事態が改善されることを願います。

 

<参考資料>




 

2015年1月6日火曜日

戦後70年の節目を向かえる日本

皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年は多くの尊い命が失われた第二次世界大戦の終結から、70年の節目となる年です。19458月、広島と長崎に原爆が投下、日本のポツダム宣言受諾により太平洋戦争はやっと終了しました。日本の戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人でした。

2015年、世界はどのように変わろうとしているのか。グローバルな世界の動きの中で、日本の立ち位置を見直し、日本の進むべき方向を見定める大事な年になります。日本の企業にとっても全く同じ視点での取組みが求められます。

焼け跡闇市の時代から、世界第2位の超大国にいっきに上り詰めた日本、当時は「エコノミックアニマル」と周りから妬みと羨望の目で見られ、そう呼ばれもしました。やがて、「モーレツ」から「ビューティフル」へ。そして、バブルもはじけ「失われた日本」へと突入しました。

1964年に東京オリンピックを経験し、1970年の万博を経て、日本は名実共に世界の仲間入りを果たしました。2020年、日本は2度目のオリンピックを迎えます。「第32回東京オリンピック・パラリンピック競技大会」のビジョンは「Discover Tomorrow、未来をつかもう」です。成熟都市、東京で開催することで確立されたインフラや安定した社会から生まれるあらゆる恩恵を示すことに開催意義があると言われています。同時に1964年の東京大会のときに生まれた日本国民の団結と誇り、自信を今一度思い起こす格好の機会でもあります。

私たちは、「企業のグローバル化を支援する多国籍プロ集団」として、今年もトルコとの皆様のミッション達成支援に少しでもお役立ちできることを目指してまいります。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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