2015年2月19日木曜日

トルコ製スチール穀物貯蔵サイロ【2月17日付けHurriyet紙/経済ニュース】


奨励金を元に60ヶ国にサイロを輸出


アクサライでスチール製の穀物サイロの製造を行うある企業が、10年前に受けた奨励のおかげで、現在60ヶ国に向けてサイロを輸出している。

アクサライの組織工業地帯(OSB)で、10年前に設立されたマイシロ穀物貯蔵システム社(Mysilo Tahıl Depolama Sistemleri şirketi)は、その当時適用が施行された奨励法の範疇で受けた奨励によりスチール製穀物貯蔵サイロの製造を開始した。

付加価値税の免除、関税の免除、所得税控除などの奨励のチャンスを活用したこの会社は、投資額を日々上乗せした。年間で約400万トンの貯蔵容量を持つスチール製サイロを製造する会社の工場には現在800人の従業員が雇用されている。

部長のセファ・サアチオールは、アクサライのOSB(工業地帯)で製造したスチール製穀物貯蔵サイロの50%は輸出されていると話す。

このスチール製サイロと同時に、サイロへの充填・搬出作業に必要な設備の製造も行ったと話すサアチオールは、次のように述べた。

「今現在60以上の国に向けて輸出している。我々の市場はあちこちに点在している。ロシアへの輸出に取り組んでいるが、ロシアでルーブル危機があったためロシアのマーケットは縮小している。極東にも取り組んでいる。もしそちらの方面で問題が発生した場合はアフリカのマーケットに方向を変える。また、南米諸国にも送っている。」

奨励金は大きく貢献した

サアアチオールはトルコ南東部で投資を行う企業が得ている奨励と同じものをアクサライの企業も活用することができることを強調し、工場を設立して今日の状態にまで発展させるのに奨励金が大きな役割を果たしたことを指摘した。

「奨励法はアクサライにとって大きな支援であると思った」と話すサアチオールは、
「従業員控除と投資控除が非常に役に立った。それ以前には土地が無料で提供されていた。そういった支援もたくさんあった。我々は日々投資額とキャパシティーを拡大していった。今工場には800人近くの従業員がいる。キャパシティー、質ともに、ヨーロッパで第一線に並ぶ製造業者の一つであると自負している」と話した。












2015年2月17日火曜日

トルコ女性人権問題の分岐点『オズゲジャン・アスラン殺害事件』




今、ある事件がトルコで大きな話題となっています。



去る211日、トルコ南東部の地中海に面した町メルシンで、一人の女子大生が行方不明となりました。

女子大生の名前はオズゲジャン・アスランメルシンのチャー大学で心理学を学ぶ20歳の大学生。帰宅の連絡からいくら待っても帰ってこない娘を心配した家族から捜索願が出された2日後の213日、オズゲジャンは崖の下の川底で焼死体となって発見されました。


216日、容疑者の男とその父親を含む共犯者二名が逮捕されました。容疑者とされるスプヒ・アルトゥンドケン(26)は妻帯者で一児の父親でもあるミニバスの運転手で、事件当日、20時ごろに乗客として乗せたオズゲジャンに対し暴行におよび、抵抗されて殺害、隠ぺいのため友人と父親に相談し、遺体にガゾリンをかけて燃やした、と供述しています。その際、友人の助言により、抵抗された際に顔を引っ掻かれているため、遺体の爪に残されたDNAから足がつくことを恐れ、両手を手首から切断した上で火をつけた、とも供述しており、その卑劣でおぞましい犯行にトルコ全土が震撼しました。


14日のオズゲジャンの葬儀には何百人もの女性たちが駆けつけ、聖職者からの「女性は下がって」という要請も意に介すことなく最前列を埋め尽くし、被害者の棺は女性たちの手によって運ばれました。また、オズゲジャンの死を悼み、その自分勝手で卑劣な犯行に対して怒りに燃える人々が立ち上がり、メルシンはもとより、イスタンブールやアンカラなど大都市で抗議のデモ行進が行われ、何千人もの人々が参加しました。

 

今回の事件に関して、216日のCBC Newsは【トルコにおける女性への暴力に対する戦いの分岐点】との見出しで報じています。

 

実は、ここ近年トルコでの女性に対する暴力及び死傷事件は急激に増加しているというデータがあります。公的データによると、2002年から2009年の間で、女性に対する年間の暴行事件の件数は66件から953件と、実に1400%も増加しているそうです。その後一時減少は見られたものの、2014年上半期で129人もの女性が殺害されており、前年の同時期よりも88人増加。2014年には133人の女性がドメスティック・バイオレンスで命を落としており、前年比33%増加したとのデータが、警察・憲兵・法務省により議会に提出されているそうです。


こうした背景を受け、トルコでは女性に対する暴行罪や殺人罪に対してより重い刑罰を、という声が上がっています。政界でも、現在廃止されている死刑制度を再度導入するべきだ、との意見もあり、また性犯罪に対する刑罰として去勢を提案する声もあります。

女性の殺害やドメスティック・バイオレンスが後を絶たないのは男性支配社会のせいだ、とする見解がある一方で、「西洋的なライフスタイルがレイプを後押ししている」といった保守的な考えに固執する人々もあり、今トルコは女性の人権問題に揺れています。

 

エルドアン大統領は被害者の遺族の元に自分の二人の娘を送り哀悼の意を伝えました。また、ダウトオール首相は「女性に対して暴力を振るわんとする手を打ち砕く!」として、トルコ全土での女性に向けられた暴力に対する広範な運動を開始しました。しかし、事件が社会に与えた影響に比して政治的な動きが小さすぎる、との批判もあります。

 

一方、SNS上では爆発的なリアクションが見られます。#sendeanlat(あなたも話して)というハッシュタグで、著名な女優をはじめ何百人もの女性が自らが受けた性的暴行やセクハラ体験をシェアしています。また、#Özgecaniçinsiyahgiy(オズゲジャンのために黒を着よう)というハッシュタグで、女性が被害者となる殺人件数の増加に警鐘を鳴らすため、何千人ものユーザーが男女問わず黒い衣服を着用した写真を投稿しています。

こういった社会の反応に対し、エルドアン大統領は、この極悪非道な犯行は決して許されるものではないとした上で、次のように指摘しています。

「女性は神が男性に託したものである、と言えば、それは女性蔑視だとフェミニストたちが反発するが、彼らは我々の宗教や文明に関心がないのだ。我々の宗教では、『神が男性に託したものであるからこそ、男性は女性を保護しなければならない。女性を傷つけてはならない』と言っているのだ。」

イスラム保守派ならではの見解に、人々の激しい反発が寄せられています。

西洋的価値観とイスラム的価値観、どちらがどうと言うことはできません。
しかし、トルコが西洋化の方向で急激に近代化していく中で、従来のイスラム的メンタリティーを固持することが、社会に大きな亀裂を生じさせていることは確かです。
西洋的価値観の下に育った世代の女性にとって、「男性の保護下にあるべき女性像」というものは、セルフイメージとして受け入れがたいものであることは容易に理解できます。


今回のこの非道な事件がトルコ社会に投げかけた波紋は、トルコにおけるジェンダーに新しい価値観をもたらすことができるのでしょうか。
 
 
※ニュースソース※
 
 
 
 
 

2015年2月12日木曜日

訃報;『トルコ共和国の歌姫』ミュゼイイェン・セナール




201528日、『共和国の歌姫』として知られるミュゼィイェン・セナールさん(96)が肺炎で死去しました。


 


ミュゼイイェンさんは、トルコのサナートと呼ばれる芸術音楽の歌手として草分け的な存在の大御所でした。サナートはトルコの古典声楽に起源を持つ一種の歌謡曲で、その哀愁漂う独特な旋律とこぶしの効いた歌唱法はトルコ人の心に深く響き、聴く者は目に涙を浮かべながら酒を片手にしっとりと聞き入る、そんな風情がよく似合います。個人的な見解ですが、トルコの大衆音楽には基本的に「哀愁」が根源にあり、大衆が音楽に求めるものが「哀しみの共有」であるという点で、日本の演歌や昭和歌謡のような大衆音楽に近いように思います。

 

ミュゼィイェン・セナールは1918716日、トルコ北西部の街ブルサに生まれました。6歳の時に結婚式で母親と一緒に歌ったことがきっかけで、その小鳥のような歌声は人々の耳目を集めました。しかし、あまりにも注目を集めすぎたため、ある朝突然吃音を発症してしまった少女は、その後歌うことで最も自分を表すことができた、と言っています。その天性の声に魅せられた当時の名だたる音楽家たちがこぞって彼女への指導や楽曲提供を申し出たと言います。日本で言ったら美空ひばりのような存在でしょうか。建国の父、ケマル・アタテュルクも彼女の歌声のファンで、セナールはしばしば枢密院で歌を披露したそうです。

ラジオ番組でその声をトルコ全土に広めたセナールは、15歳の時に初めてクラブのステージに立ち、以来トルコの有名なクラブでの数々の名ステージ、またレコーディング活動を通して、トルコ音楽界に新風をもたらしました。1998年にはセゼン・アクスやニリュフェル、タルカン、シェブネム・フェラーなど、現代トルコのミュージック・シーンの重鎮たちも名を連ねる『Müzeyyen Senar ile Bir Ömre Bedel』というデュエット・アルバムも出しています。1998年には『国家芸術家(日本で言うところの文化勲章みたいなものでしょうか)』に選ばれました。

2006年に脳梗塞を患い、左半身不随となってから、リハビリを続けていましたが、ついにその歌声が再び聞かれることはありませんでした。

華やかな歌手人生の裏で、三度の結婚で一度も花嫁衣裳を着ることがなかったというセナール。
最初の夫はあるホテルのオーナーでしたが、相手の家族から「身分が違う」と反対され、夫も家族からの一切の支援を断ち切られてしまい、19歳にして一子を身ごもりながらも家計はセナールの肩にかかっていました。しかし、歌手活動も夫のやきもちで思うようにならず、結局は別れることに。
二番目の夫はサッカー選手でした。今回もその家族から「歌手に用はない。しかもバツイチ子連れなんて!」と嫌がられ、またしても望まれぬ結婚でした。この結婚でさらに二子をもうけますが、やはり夜遅い時間の活動を伴う歌手人生ゆえに、この結婚も長続きはしませんでした。
1951年、33歳にしてバツ2で三人の子持ちとなったセナールは、「人生で唯一愛した男」と言うサウジアラビア大使と三度目の結婚を果たし大使夫人となりますが、子どもたちを残してサウジアラビアに移住することはできないと、二年後に涙ながらに離婚することとなりました。(※「政府が反対し別れさせた」との本人の発言もあります)

この三度目の夫のことを、「人生で初めて、自分の全てを委ねることができる、そんな度量の大きな男の中の男だった」と回顧しています。彼が1985年に他界するまで文通を続けていたと言います。

波乱万丈な人生を送ったセナールですが、そんな自分の人生について1978年にこんなことを言っています。

 

「私は、1万人の女性の人生を自分の人生に詰め込んだ、そんな女なのよ。充実した、素晴らしい一生だわ」

 

伝説の歌姫の訃報に際し、トルコ中が悲しみに暮れたそうです。ひとつの歴史が幕を閉じた、そんなところでしょうか…。

この機会に、ぜひ一度トルコの一時代を築いた歌声を聴いてみてはいかがでしょうか。トルコ人の心を理解する一助になるかもしれません。

↓   ↓   ↓   ↓
『Ben Seni Unutmak İçin Sevmedim』(あなたを忘れるために愛したわけじゃない)
 
*参考*






 

2015年2月5日木曜日

トルコ中小企業(KOBI)への期待感



2023年の建国100周年に向けた壮大な国家ビジョン(過去記事参照)を実現していくにあたって、現在トルコでは中小企業(KOBI)に大きな期待が寄せられています。


先日、政府による中小企業支援の拡大が首相から発表され、131日付けで各紙が大きく報じました。



中小企業・起業賞の授与式でアフメット・ダウトオール首相より、「中小企業に5つの朗報がある」と発表されました。

5つの朗報』の内容は以下の通り。

 ①  法人化・ブランド化支援プログラムの開始
 ②  業務提携支援プログラムの開始
 ③  研究開発イノベーション支援拡大
 ④  起業支援拡大
 ⑤  中小企業・起業賞で最終選考に残った40社に国外ビジネスツアー
 
スピーチの中でダウトオール首相は中小企業について、
「中小企業はトルコ経済の要である。経済だけではない、社会の要でもある。」
「経済的安定の指標は中小企業だ。政治的安定と中小企業の間には実質的な関係がある。」
と話しています。
また、情報産業技術省フィクリ・ウシュック大臣によると、
2006年に180.3万件だった中小企業の数は、2013年末には116.2万増の296.5万に達した。」
「現在トルコにおける企業の99.85%が中小企業であり、雇用の75.8%と輸出の59.2%が中小企業によってもたらされている。」
「企業が規模拡大、輸出増大、技術水準向上させるにつれ資本も増やしている。これは非常に重要な指標であり、情報産業技術省としても支援をこの点に集中させた。」
とのことです。
今後のトルコ経済は、中小企業の発展にかかっている、ということですね。
 
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ところで、トルコの大手銀行『ヤプ・クレディ銀行』もまた、中小企業支援キャンペーンを打ち出しており、何とそのCMには日本人の大食い世界チャンピオン小林尊さんが出演しています。
 
なぜでしょう?
 
それは、彼の世界的愛称が“KOBI KOBAYASHI”だからです。
そう、トルコ語の「中小企業」すなわちKOBIとかけたダジャレです。
 
CMは、あるレストランを営む父親とその息子の会話から始まります。
「いいかい、今日は当店のドゥリュム(トルコのラップサンド)・デーだ。“ドゥリュム食べ放題”を始めるぞ!」
威勢よく言い放つ父親に対し、心配そうな息子。そこに通りがかった小林さんが
「食べ放題?」
と喜んで店内へ。
「大丈夫大丈夫、食べ放題って言っても所詮23本で腹いっぱいになるから」と自信たっぷりの店主ですが、みるみる山ほど皿を積み上げていく小林さんに茫然。
そこへ息子が父親にタブレットを見せながら、
「あの人、世界大食いチャンピオンのコビー・コバヤシだよ!!」と告げる。
「大食いチャンピオンのコビー!?」
と店主が驚いたところで、小林さんは着ていた上着を脱ぎ、大きく『KOBI』と書かれたタンクトップを顕わにして俄然やる気満々。
KOBIKOBIでも、こんなことするなんて…」と泣きそうになる店主。
「お父さん、どうしよう」と不安げな息子に、店主はひらめきます。
「大丈夫、どうすればいいか父さんは分かっているよ。」
そう言って連れ立って店を出た親子が向かった先はヤプ・クレディ銀行。そこから中小企業向け融資の充実を謳う宣伝文句が連なります。
 ※当CMはヤプ・クレディ銀行のウェブサイトから視聴できます。
 
トルコの政治・経済の要となる中小企業KOBIと日本には、既にこんな結びつきが生まれていたのですね。

中小企業への期待感が膨らむ今、トルコとのビジネスチャンスはますます広がっていくことと思われます。トルコへの貿易投資に関心のある方は、どうぞ弊社までお問い合わせください。


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*参考*131日付Hürriyetの全訳は以下の通りです。
『中小企業に5つの朗報!』
トルコで起業を増進するため、政府は中小企業に向けた新たな支援政策を打ち出した。「中小企業に5つの朗報を伝えよう」と話したアフメット・ダウトオール首相は、「ブランド化、技術提携、研究開発の支援が増える」と話した。
アフメット・ダウトオール首相が発表した支援プログラムによると、ブランド化に15万リラ、技術提携を結ぶ企業に30万リラを、返済不要(助成金)で計150万リラ支援する。また、研究開発の業務を行う企業が現在受けている補助も50%引き上げるとした。
支援の詳細について、中小企業・起業賞授与式にて説明したダウトオール首相は、次のように話した。
「中小企業はトルコ経済の要である。経済だけではない、社会の要でもある。トルコで所得分配における改善があるとしたら、社会問題がなくなるとしたら、それは中小企業のおかげである。彼らが創出する雇用により、経済的発展も社会的連帯も生まれる。彼らが踏み出す一歩は社会の平和を支持する一歩をもたらすだろう。中小企業は同時にG-20議長国の主要なテーマともなっている。」
「中小企業に5つの朗報だ。第一に、法人化・ブランド化支援プログラムを開始する。このプログラムでは5000万リラの予算で一企業につき15万リラの支援を行う。この5000万リラの予算を1億リラに引き上げるよう大臣に指示を出した。第二は、業務提携支援プログラムだ。3企業が技術提携で集まるなら、内30万リラは返済不要、120万リラは要返済で、合計150万リラの補助が与えられる。第三に、研究開発イノベーション支援において50%の引き上げを行う。第四は起業支援プログラムだ。女性と障がい者、労災対象者及びその近親者も恩恵を受けることができる。ここでも、もともと10%だったところを20%に引き上げる形で改定を行った。第五となる最後の朗報として、今日発表された最終選考に残った40企業に、KOSGEB(中小企業開発機構)が一切を賄う国外ビジネス旅行の賞を与える。起業と競争の間には直接の関係がある。起業が増えれば競争もその範囲で増えるのだ。」
中小企業は経済的安定の指標である
経済的安定の重要性を指摘するダウトオール首相は、「2008年の危機以降、深刻な経済の揺れに直面しながらも、政治的、経済的リスクと向き合いながらも、トルコは12年間で政治的安定を守り、かつ必要に応じて徹底的な改革を実行することに躊躇しなかった。このことを我が国の中小企業はよく分かっている。経済的安定の指標は中小企業だ。政治的安定と中小企業の間にはそれほどまでに実質的な関係があるため、あなた方が強ければ我々は雇用問題を解決することができる。首都アンカラに政治的安定があれば、あなた方も強くなるでしょう。」と話した。
300万近くに到達
情報産業技術大臣フィクリ・ウシュック氏は、「企業家情報システム」によると、2006年に180.3万件だった中小企業の数が、2013年末には116.2万増の296.5万に達したことを伝えた。ウシュック氏は、現在トルコにおける起業の99.85%が中小企業であり、雇用の75.8%と輸出の59.2%が中小企業によってもたらされていると話した。企業が規模拡大、輸出増大、技術水準向上させるにつれ資本も増やしていることを指摘するウシュック氏は、これは非常に重要な指標であること、省として支援をこの点に集中させたことを強調した。